命をいただく

私は一ヶ月後、この牛を殺します。〜私がヴィーガンにならないと決めるまで〜 | ロカフレ
とても興味深く読み終えました。

ヴィーガンに限らず、何事も狂信的になったり、自分の心情を他者に押しつけちゃいかんと思います。
イヌやネコはかわいがるのに、なぜ牛や豚は食べるのですか、というtweetを見かけました。炎上してたかな。

基本的に、生き物は自分の種を保存し、増やすために生きています。ヒトもそうです。
愛玩動物として人類と共生する動物もいれば、喰われる前提で人類に種を残してもらう動物もいます。人は喰う対象が絶滅すると困るので、大切に育て、残します。
植物もそうです。稲や小麦は人に育ててもらい、喰われることで種を残しています。
逆に、喰われずにただ害があるとして殺される種は、生き延びるために必死です。雑草とかゴキブリとか。

さて、生命力が弱い種は大量に卵を産み、生存率を高めようとします。
ヒトは生命力が強いですけど、高度文明社会では育てるために経済力が必要です。理想はすべてのヒトが自分の子を産み育てられたいいいんですけど、経済が成長すると子育てにお金がかかるので、社会全体で育てる仕組みになりました。つまり、経済活動を担当する人と、子を産み育てる担当ヒトが役割を分担する協働社会となっています。女王アリと働きアリみたいな社会です。だから結婚しないヒト、子どもがいない夫婦も決して無駄な存在ではありません。税を納め、経済活動をするだけで、種の保存に参加しています。

生き物は種を残すために頑張っています。だからこそ生命を安易に奪ってはいけません。人が人を殺してはいけない理由は、種の保存に背いているからです。
そして、命をいただくことについて、それが豚でも牛でも鶏でも小麦でも稲でもトマトでもキュウリでもリンゴでも蜜柑でも、感謝し、その種を絶滅させないと誓いましょう。
君のことは食べちゃうけど、君の種は残しますよ。

そう考えないと肉も野菜も食えません。嫌いなものを無理に食べさせることも、生命への冒涜です。
牛や豚は食べないのに、なぜトマトやキュウリは食べるのですか?

ところで、ヒトではないものが食物連鎖の頂点になったら、ヒトは食料になるか、愛玩生物になるか(笑)。あるいは生き延びるために隠れて繁殖するか(笑)。SFのテーマになりそう?

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