私のFacebookの基本方針

ときどき、Facebookで友達申請をいただきます。

実際にお目に掛っていない方の友達申請は「こちらから削除」いたします。

だいたい2週間くらいはメッセージリクエストを待ちます。

※「あなたを嫌いだから」ではありません。
※「あなたを知らないから」です。

 

これは原則です。例外もあります。
たとえば、
○友達から紹介されたかた
○私が会いたいと思っていたかた
○すでにメールや電話、Twitterなどで交流し、ある程度気心が知れているかた
などです。

Facebookで友達申請をいただいた場合、上記を考慮して判断します。
上記に該当しないかた、
「フォロー」のつもりで誤って友達申請したかたは
どうか「ご自身でキャンセルしてください」。

なぜかというと、私が友達申請を削除した場合、
あなたは今後3年間、私に再申請ができないからです。

これはFacebookの仕様です。

私に友達申請できる人は、友達の友達まで、と設定しています。
しかし、友達の友達はみな友達(タモリ)かというと、そんなこたぁない(タモリ)です。
私はFacebookを、ふだん会えない実際の友達と交流するために使っております。
投稿内容は現在位置、思想など、プライバシーに関するものがあります。
むやみに知り合いのネットワークを広げる意図はありません。

私から友人申請とメッセージリクエストした場合も、
2週間程度で認証されなければ取り下げます。
Facebookを活用していない または 私と友達になりたくないんだな と思うからです。

■理由

従前は見知らぬ方から友達申請をいただいた場合、
「いつか知り合ったときの予約」と考えておりました。
しかし、その機会がないままでいると、
Facebookのどこかに「友達リクエスト」が表示され続けます。
これが気になって仕方ないンです。
なんで知り合いでもない人の名前をいつもいつも見続けなくちゃいけないんでしょう。
これが意外とストレスです。そこで「削除」に方針を変えました。
ご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。

知り合いになるまでは、Facebookで「フォロー」していただければ
全体公開投稿をご覧いただけます。
しかし、ほとんどTwitterやInstagramと同じ内容なので
TwitterやInstagramをオススメします。

なお、すでに友達となっているかたについても
数年以上にわたり交流がない場合は見直します。
これは個人情報の拡散を防ぐためです。
交流が再開した場合は、再度、友達申請をいたします。

以上、ご理解いただけますよう、よろしくお願い申し上げます。

魔力の胎動

鍼灸師の工藤ナユタは、顧客の治療の場で少女、円華に出会う。円華は知人の脳外科医の娘で、風向きを読むという不思議な力を持っていた。いや、周囲は不思議と感じても、円華にとっては、研ぎ澄まされた物理計算能力を持っているだけのことだった。ナユタの顧客の悩みを、円華は客観的な物理の結果を示して解決していく。それは後に魔女と恐れられる少女の善意だった。

先に発表された「ラブラスの魔女」の前史を描いた物語だ。物理学用語で「ラプラスの悪魔」は、ある時点に起きたすべての物理的な状態を完全に把握し、未来に起きる事象を確定できる」とう力。「ラブラスの魔女」では、「ラプラスの悪魔」を持つ善と悪の戦いを描いていた。その主人公の円華の行動を確定するまでのエピソードが「魔力の胎動」という短編連作だ。

序盤は悪魔的能力を持ちつつ、当事者の心を開いていくという人情的な話だった。とてみ読み心地が良くて円華奇譚として連作、続編を期待したかった。途中から「ラブラスの魔女」のエピソードが絡みミステリー大作へ続くんだけど、「ラブラスの魔女」を読み返したい。どこやったっけ? ラプラスの魔女のその後も読みたい。


次は忍者増田さんがオススメしていた「親父の遺言」です。

戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団

新橋駅の地下に幻の新橋駅がある。これは鉄道ファンには有名なトリビアの1つ。その理由は、

浅草~新橋間の地下鉄を建設していた東京地下鉄道が、同じく渋谷~新橋間の地下鉄を建設していた東京高速鉄道の直通を拒んだため。東京高速鉄道は仮の自社駅として新橋駅を作った。その後、東京高速鉄道の五島慶太は東京地下鉄を買収し、東京地下鉄の早川徳次を追放して直通に成功した。だから東京高速鉄道の新橋駅は僅かな営業期間の後に廃止され、幻の駅になった。旧新橋駅は現在、倉庫などに使われており、一般公開はめったに行われない。

という話。多くの文献に紹介されているし、東京メトロもそんな風に紹介していた気がする。私もこの説に沿ってコラムを書いた気がするけど、鉄道トリビアにはなかった。ウラが取れなかったか、東京メトロに取材させてもらおうと思ったら断られたんだっけ? 知れば知るほど面白い鉄道雑学157に書いたかな? 

しかし、本書「戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団」の著者、元東京メトロ広報担当だった枝久保達也さんは幻の新橋駅を見て疑問を持った。「仮駅にしては立派すぎる。そもそも地下に仮の駅なんて作るだろうか」と。ここから彼の歴史探訪の旅が始まる。膨大な文献、正史をたどり「幻の駅ではなく、直通運転にとっても必要な駅だった」と解き明かす。

これは鉄道ファンや近代史研究者にとって大きな知見だ。かつて地理学者の青木栄一先生が著した「鉄道忌避伝説の謎―汽車が来た町、来なかった町」を想起する。いままで鉄道トリビアとして騙られた話の真実が明らかになった。

後半の戦中戦後編も生々しい。そして現在、東京メトロと東京都営地下鉄がしっくりしない理由もわかる。「戦時下の地下鉄」は単なる調査記録論文ではない。日本の地下鉄創世記をドラマチックに描く。私は資料として購入し、そのうちネタの参考にするかもな……なんて思っていたけれど、読み進めていくうちに物語に引き込まれ、ついに最初から最後まで読み通した。そうだな、感覚としてはミステリー小説のようにワクワクしながら読んだ。こんなに熱心に鉄道本を読むんて久しぶりだ。

小刻みな休憩で、だいたい1か月かかって読んだ。
次は東野圭吾さんの文庫新刊「魔力の胎動」です。

アホー麺とニンニクラーメンは違った

J社のTさんがニンニク好きと聞いて、川崎のアホー麺をオススメしようと思ったら閉店していた。そこでニンニクラーメンを検索したら2件出てきて、そこまでの情報をメールで送ったんですけど、オススメしたからには食べてみなくちゃね、ということで、ラーメン・中華食堂 新世 宮前店 – Rettyに行ってみた。

ここはチキンチャーハンが美味いんだ。もちろんニンニクラーメンも美味しい。だけど、川崎萬来のアホー麺とは違った。

後日、もうひとつの店に行ってみます。

ケーキの切れない非行少年たち

武田鉄矢さんがラジオで紹介していた。そのうちに読もうと思っていたんだけど、散歩で立ち寄ったブックオフの100円コーナーにあった。古本って在庫が多いほど安くなるから、かなり売れたんだろうな。

筆者は児童精神科医。非行少年と向き合うなかで、少年院には「反省できない子」「自分の犯罪を認知できない子」がいた。彼らのほとんどは知的障害。たとえば、丸い円をケーキに見立てて「三等分して」と言うと、おもむろに横一文字、建て一文字に2等分する。ベンツのマークのような絵を描けない。

本書を要約すると、ほとんどの犯罪者が知的障害を持っていて、子どもの頃に誰にも発見されず、適切なトレーニングを受けられなかった。それどころか、「できない子」として親の虐待やイジメに遭った過去があり、人格が成熟していない。知的障害はIQに関係なく、進学・就職できる人も多い。だけど「他人の気持ちが理解できない」「自尊感情が低い」などの問題を抱えており、何らかのトリガーで犯罪行為に及んでしまう。

これは大人になっても同じ。ある元政治家が政治資金規正法違反で刑務所に入った。凶悪犯ばかりかとビビっていたら、周囲は知的障害者ばかりだったという。

結論としては、子どもの知的障害になるべく早く気づいてあげること。その発達具合に合わせた教育、トレーニングをすること。そうすれぱ犯罪行為に及ばない。税で養う受刑者から、きちんと社会生活送れる納税者になる。

犯罪者は性格が悪いと思っていたら違った。そして、このことから、なんで世の中には変なヤツが多いんだろう、という疑問も解けた。ネットを燃やしてる奴ら、煽り運転する奴らは知的障害なんだね。まともな人間だと思って対応しちゃダメなんだねぇ。

あと、知能犯なんていないんだな。まともな知能があったら罪を犯さないと思う。

命をいただく

私は一ヶ月後、この牛を殺します。〜私がヴィーガンにならないと決めるまで〜 | ロカフレ
とても興味深く読み終えました。

ヴィーガンに限らず、何事も狂信的になったり、自分の心情を他者に押しつけちゃいかんと思います。
イヌやネコはかわいがるのに、なぜ牛や豚は食べるのですか、というtweetを見かけました。炎上してたかな。

基本的に、生き物は自分の種を保存し、増やすために生きています。ヒトもそうです。
愛玩動物として人類と共生する動物もいれば、喰われる前提で人類に種を残してもらう動物もいます。人は喰う対象が絶滅すると困るので、大切に育て、残します。
植物もそうです。稲や小麦は人に育ててもらい、喰われることで種を残しています。
逆に、喰われずにただ害があるとして殺される種は、生き延びるために必死です。雑草とかゴキブリとか。

さて、生命力が弱い種は大量に卵を産み、生存率を高めようとします。
ヒトは生命力が強いですけど、高度文明社会では育てるために経済力が必要です。理想はすべてのヒトが自分の子を産み育てられたいいいんですけど、経済が成長すると子育てにお金がかかるので、社会全体で育てる仕組みになりました。つまり、経済活動を担当する人と、子を産み育てる担当ヒトが役割を分担する協働社会となっています。女王アリと働きアリみたいな社会です。だから結婚しないヒト、子どもがいない夫婦も決して無駄な存在ではありません。税を納め、経済活動をするだけで、種の保存に参加しています。

生き物は種を残すために頑張っています。だからこそ生命を安易に奪ってはいけません。人が人を殺してはいけない理由は、種の保存に背いているからです。
そして、命をいただくことについて、それが豚でも牛でも鶏でも小麦でも稲でもトマトでもキュウリでもリンゴでも蜜柑でも、感謝し、その種を絶滅させないと誓いましょう。
君のことは食べちゃうけど、君の種は残しますよ。

そう考えないと肉も野菜も食えません。嫌いなものを無理に食べさせることも、生命への冒涜です。
牛や豚は食べないのに、なぜトマトやキュウリは食べるのですか?

ところで、ヒトではないものが食物連鎖の頂点になったら、ヒトは食料になるか、愛玩生物になるか(笑)。あるいは生き延びるために隠れて繁殖するか(笑)。SFのテーマになりそう?